広瀬小学校校門前に鯱(しゃちほこ)が?

  広瀬小学校校門前に鯱(しゃちほこ)が乗った城門があった・・・。(きょうど文化部会主催協議会講座)

 去る令和2年6月20日(土)に広瀬地区交流センターで講師に郷土史家松本茂裕氏(明神山御出身)をお招きし標記の鯱の話を聞いた。

 時は明治の初め、佐土原藩が佐土原から広瀬(今の広瀬小学校あたり)に転城することとなり明治3年11月にくだんの鯱が乗った広瀬城城門が完成。しかし、翌明治4年に廃藩置県が行われ広瀬城築城は中止になることに・・・。その後、明治6年にその門は宮崎県庁の裏門に使用されることとなった。そのまた後、昭和6年に現在の県庁に建て替えた時に、城門は広瀬小学校校門へ移築されたが、昭和20年に老朽化のため廃棄された。その後の鯱の存在は、哀しいかなここ最近まで知られることはなかったが、講師の松本さんがいろいろ調べられその変遷一部が解り、その在処も突き止められた。
 この鯱、瓦ではなく銅製の鋳物で九州では珍しく文化財的価値があるとのこと。聴講者のアンケートからは、今後、広瀬の歴史を考えるシンボルとして是非広瀬の地に里帰りさせたいとの意見もあった。